・. 。o〇

〜Salon de Manjyu〜

どうしてなんだろう

作品がうまれるとき 大きな前提としていつも゙死゙ について考えさせられ 表現となることが多いけれど その都度 どうしても どうしてが祝福゙や ゙生きる歓び゙みたいなものが浮きだってくる

 

観る者が生きていて あくまでも作品はそちらに向けられている けれど本質は静かに弔っているのかもしれない

 

ああ   葬儀屋の母はそこを見抜いてたのか

まるで葬儀のやり方と同じだと